『芸術起業論』 著者:村上隆

もともと芸術家の村上隆さんには興味があり、
たまたま200円コーナーでこの本を見つけたので買って読んでみました。


本を手にとって3秒くらいでカゴに入れたまさに衝動買いだったのですが、
経験的にすぐ判断が下せるものというのは直感が働いていて
結果的に良い買い物であることが多い気がします。
(一般的には逆に捉えられていますが、自分は普段あまり衝動買いをしないので、
逆に衝動が起きた時は何らかの直感が働いたと捉えて大事にしています。
ただ、モノ自体を勘違いしている場合(モノがイメージと違った場合)はミスすることもありますが。。)

村上隆という人



村上氏は日本人の芸術家に珍しく「正直な人」だと思います。


それは、優れた芸術作品を作りたいという自分の目的に対して、
嘘をつかず、対峙すべき現実としっかりと向き合っているという意味です。
優れた芸術作品を作るための要素は何であるか、それをちゃんと見据えている人です。


一般的に、良質な作品を作るのに重要なことといえば、
自らが作った芸術作品を鋭く批評していく姿勢を持つことです。
村上氏も、それを当然のこととして肯定しています。
しかし、それだけでは不十分であると言い、今の日本美術界の意識に欠けている
お金というものの存在の重要性について強く説いています。


「正直な人」という言葉の意味は、特に彼の"お金に対しての認識"から読み取れます。


お金は芸術家にとって「(自由な)制作活動の継続」「一つの(客観性を含んだ)価値基準」
という意味において、避けることが出来ない重要な存在です。
しかし、日本では一般的に芸術とお金・ビジネスは相容れないものとして
捉えられている節があります。特に日本の芸術業界は、それらを敵視しているようにも見えます。


そのような日本の美術業界に対して村上さんは違和感を抱きます。
著書内でも

芸術の力を生かしたいなら、金銭が要るという事実から、どうして目を反らしてしまうのでしょう。
ぼくは、三十六歳になる頃までコンビニの裏から賞味期限の切れた弁当をもらってくるような、
お金のない時期を経験しました。(中略)
お金のない時の動きとはそういうものです。何をするにも異様に時間がかかる。
そういう時間を縮めるために金銭の力が必要になるのです。
金銭があれば、制作する時間の短縮を買えます。(中略)
芸術には金銭と時間が必要という当たり前のことを貧乏の中で実感したからこそ、
ぼくはお金にはこだわるようになりました。

金額は、評価の軸として最もわかりやすいものですよね。
万人に分かる価値基準を嫌がる人は、
「誰にでもわかる数字で評価されると本当は価値がないことがバレてしまう」
と恐れているとも言えるでしょう。
作品の価格や価値を曖昧にしてきたからこそ、戦後の日本美術は悲惨な状況になったのです。

と語っています。


お金の重要性を認識しない業界・芸術家に対して、
そのことが芸術作品の質の向上を制作環境・価値評価の点から阻害していると指摘しています。


このロジックは極めて単純なものですが、このことが認識できていない人は、
特に社会と直接の関わりが少ない美術関係者の中にはかなりの数いるのではないでしょうか。


氏は金の亡者のように語られることもありますが、実際のところ彼にとってお金は手段であり、
その最終的な目標はあくまで「優れた芸術作品を残すこと」にあるように思えます。
そうでなければ、敢えて金銭的リスクの高い芸術の道を志したことが説明出来ないはずです。

村上隆が海外で成功した理由



村上隆が海外で成功した理由。


それは、作品の良さをしっかりと伝えることが出来たこと。
そして、レベルの高い相手と対峙するに足る作品の価値とロジックを構築したことにあります。


氏は著書内で、一貫してそのことを伝えています。


欧米の美術市場において重要視されるのは、作品が提示する「新しい概念」です。
作品はそのような「概念」や「観念」を表現したものであり、
そこに求められるのは知的な仕掛けやゲームである、と語っています。
表現された作品に、日本でありがちな"見た目がきれい"といった感動は必要ではなく、
作品の価値はあくまで「概念」への評価によって決まるとされます。


日本では自分のことを語ったり、作品について多く語りすぎることを嫌う傾向がありますが、
そもそもその作品が持つ「新しい概念」が何かを理解してもらえなければ、
本場である欧米市場において評価されることはありません。
作品が持つ背景と意味合いを説明することが求められる市場だということです。


評価の軸となるその「概念」も、なぜそれが「新しい概念」だということができるのか、
どのような点で新しいのか、が明確にされていなければなりません。
そのためには現在の美術に至るまでの歴史、特に村上氏の場合は日本文化の歴史など
新たな概念に関連すると思われる要素を拾い上げ、関連付けることで概念を相対化していく必要があります。

新たな概念:スーパーフラット



氏が発表した"スーパーフラット理論"は、
日本のオタク文化を海外に伝えたものだと捉えられています。


村上氏は、日本の歴史的美術と現代のオタクアートには共通点があると言います。
それは、絵の要素がバラバラに存在しており、遠近感が成立しておらず、
平面的で、絵を見る際の視点(カメラアイ)が一つに定まっていないという点です。


従来、日本美術は西洋美術と比較すると「平面的で奥行きがない」という批判にさらされていました。
それは、西洋美術の発展の基礎となった透視図法を利用した絵画に比べて
遠近感に乏しく写実的でない、という意味合いで使われていたようです。


実際に日本の絵巻物を見ると、斜めから見下ろすような構図が多いですが
例えばその中で、距離と人の大きさの関連を見たときも
遠近感が正確に表現されているとは言い難いと思います。
(参考: 絵巻物データベース http://kikyo.nichibun.ac.jp/emakimono/ )


しかし、氏の"スーパーフラット理論"は、その平面性こそが日本の伝統であり
現代にも受け継がれている日本的アートの特徴だとしています。


西洋的な透視図法を利用した遠近感の表現は、
見る視点=カメラアイを限定し、そこからの見え方に従って絵の要素を描きます。
それは、イメージ的な重要性よりも実際の見え方を重視するということでもあります。
そのため、絵の個別の要素に対するイメージ的な認識を阻害してしまうという弊害もあります。


一方で、日本的なアートはそのようなカメラアイの限定を解くことで
その絵の「一つ一つの要素が与えるイメージ」を重視した描き方が可能になっています。


たとえば、デフォルメされたマンガのキャラクターは、
目や顔が実際よりも大きく描かれていることがあります。
これは、目や顔といった部分は人が実際に他人を見るときに重要視する部分だからです。
そのイメージ的な認識・重要性に基づいて描くと、
目や顔が大きく描かれるなどといった、写実的という意味のリアリティは薄いが
個人の内面的イメージという観点からは逆にリアリティが増した絵が描かれることになります。
その結果がデフォルメされたキャラクターであり、
イメージを重要視する日本的アートの特徴を表現したものということになります。


また、日本のマンガには空白が多いとも言われます。
これは本来空白に(写実的にするならば)描かれるべき要素も、
個人の中のイメージにおいて重要性が薄いと捉えられるのであれば
必ずしもそこに描く必要がない、という認識が表現されたものだと考えられます。


これらの例のように、日本の平面的アートには絵の要素に対する一つ一つのイメージ、
カメラアイを限定しないことで生まれた遠近感を無視した多数の視点が存在しています。
それら一つ一つをレイヤー(透明な板)として捉え、
最後にそれらを一つのレイヤーに結合し一体化させたもの、
それが単なる平面=フラットを超えた"スーパーフラット"である、としています。


日本の階層性の薄さもこれに関わっているとか、
3Dのフィギュアもこの上記の観点から見ると"スーパーフラット"と言えるとか、
その他にも色々なことが批評家から語られているので
興味がある方は調べてみると面白いかもしれません。


こういった「新しい概念」をロジカルに構築して、しっかり伝えていくこと。
それが村上隆氏が海外で認められる要因となったことは間違いありません。

作品「727」



個人的には、村上氏の「727」という作品が好きです。
(参考:「727」http://www.kaikaikiki.co.jp/artworks/eachwork/work_727/ )


日本の伝統的絵画の上にデフォルメされた目を持つ現代のオタクアートが
波にのって融合しつつ迫っていく感じがいいですね。


自分はもともとアートには全く興味がなかったのですが、
村上氏が前にTVに出たりCourrierJaponに載っているのを見て
面白そうだと思って以来、少し興味が出てきました。


最後に、このエントリを書くために本・ネットで色々調べていて
たまたま見かけたblogの記事が良いなと思ったので紹介しておきます。(全く別の話です)


現代アートがワカラナイ秘密 - 時を刻む
http://contemporaryart.blog34.fc2.com/blog-entry-41.html




by Aricororisty

BO事情とSC

ここのところ話題がWarから遠のいてましたが、
一応Warのblogなので初心にかえってWarの話を。。

BO装備とspec



最近、やっとBOがInvader肩とLotdのCloakを手に入れて
装備的には一段落した感じですが、大分強さが変わった気がしています。
LotdのCloakを導入してDpsが上がったので、
調子に乗って少し2Hをやっていた期間もあるのですが、
playしていて自己満に感じたので今は1H+Dps装備に戻しています。


BOを基本pugSCでやっている感じでは、ある程度装備が整っていれば
BOは十分に活躍できるClassな気がしています。


SCのスコアはBOのSpecの特性上AEがなく、totalのDmgはそれほどでもありません。
ただし、
1.CD+5secが強力(但しchain3段目)
2.Lotd装備によって1HながらDpsが出やすくなっている
3.Dmgがchainの段階によって大きく変わるため瞬間的なDmgを出しやすい
(3段目に強いDmgのskillが位置しているほか、Tacで2段目Crit+10%,3段目Crit+20%、
同じくTacでCritDmg+25%があるのでchain段数に応じて傾斜的にDmgが増加する)
4.一段目にArmorDebuffが必ず入る
といったことが重なって、TankにしてはKillにつながりやすくなっています。
なので、総Dmgに対してDBを取りやすくWEに似たスコアになります。


最近はBGも2Hを使うとDpsが出やすいそうですが、
元2H→現在1HTankと移ってきた身としては
やはり1Hを使ってGuardしながらAssistというのがTankの理想形な気がしています。
とはいえ、全くDpsがないと圧力をかけられないので、
特にBOのようなSideWorkがしにくいSpecのClassはDpsもある程度確保する必要があると思います。

SCでのBOの動き(pug)



動きとしては、最初先頭でChargeして流れを作りながら
奥に行く途中でOrderを攻撃、Healerに着く頃にchain3段目となるようにしておき
HealerにCD-5secを入れつつ少し戻り仲間とAssistして敵Dpsを攻撃、
適宜Guardを付け替えて仲間を守るという流れでやっています。


自分の場合はpugが主ということもあり、Guardは一人に固定して入れておくよりも
使わないとき(明らかに遠くにいる場合など)はなるべくはずしておいて、
次のGuardをしやすくしておく場合が多いです。
(Guardははずすor付ける際にLagがあるため、必要な時に変えていると間に合わないことがある)


ただ、ある程度名前と動きを知っていて信頼がある人の場合は
Guard前提の動きをしてもらう意味で敢えて付け続けている場合もあります。
Dpsの方でもaddonのAuraなんかを使っていて、
その時のGuardの有無で動きを変えてくれる人はありがたい存在です。


あと重要なのは、WHに対する動きでしょうか。


Tankの強みは硬さですが、WH相手で後ろを見せるとArmor無視でTankと言えども痛手になります。
良いHealerほど最前線のMeleeにHealをしてくれますが、
最初のCharge時にWHから不必要にDmgを食らってHealerを前に来させるのは
Tankとしては望ましくありません。


なので、WHに対しては特に注意を払って後ろを取られないようにしています。
1HであればBlockもあるので、その効果はより高くなります。
これはChargeの時だけではなく、戦闘中にHealerを殴っている場合でも
WHに後ろを取られないようにする動きは重要ですね。
位置取り系Skillは特にNerfedBottunの登場以降、
間接的にではありますが、実質かなり強化されているので注意が必要です。


ちなみにBO的にはCD+5secがあるので、さりげなくHealerにCD+のskillを入れておき
Healerを攻撃しているふりをしながらWHにTargetを移して殴ると
油断しているのか案外一気にHPを削れたりするので良くやってます。


いずれにせよ、WHに対する向き変えはDestなら全Class必須の動きだと思います。

近頃のSCの勝敗決定要因と動き、など



最近SCをpugでやっていて、装備差を感じるようになってきました。
構成差・Rank差はゲーム当初から存在していましたが、
現在の装備インフレの影響もpugだと特に感じます。


正確にいうと、solo同士の差はそうでもないのですが
Premade,miniPremadeで入った人とSoloで明らかに差を感じます。
最近premadeで入るとpugに楽に勝てるのは、bombもありますが
そもそも以前の構成・Rank差という勝利要因に装備差が加わっているからだと思います。
HMさんと一緒になると、それを特に感じますw


RangedHealerは、それでも動きである程度ごまかしが効くのですが
特にArmor数値が重要なDpsClassはかなりの差が生まれている気がします。


といいつつ、個人的には上記は当然の流れなので割とどうでもよいことではあったり。。


どちらかと言うと、現在のpremade陣がそういった楽に勝てる環境に慣れてしまっていて
動きや連携が劣ってきているのが問題という気がしています。
特に普段FGで出ているところがminiPremadeで出ているとき分かりやすいのですが、
勝っても(実際良く見る人が多いと勝つことは多いのですが)これは装備差だなとか、
もっと圧勝出来た戦いだったと思うことが最近多いです。


同じ勝ちではありますが、予想していた勝ち方と差がある場合が出てきているかなと。。


ちなみに、個人的に動きがいいなと思っているのはDCのshmのArvさんです。
(勝手に名前を出してしまって申し訳ないです)
shmは以前の強化patch以降、かなりP-SkillやP-Styleが出やすいClassになっていると思います。
Specは大体同じと思いますが、装備やTacは割と幅が出やすい上に
使い分けるSkillの選択肢が多いのでプレイヤーの特徴が出やすくなっています。


Shmの場合、pugでプレイヤーの質を見極めたいときは
まず分かりやすいものとしてGTAEsnareの出す位置で判断します。
大体これで良いShmかは判断できてしまったりするのですが、
特に前方に対して出すSnareの場所をみると
1.前の戦況を見れているか、2.Skill(Snare)の意図を理解できているか、が分かります。


1.前の戦況を見れているか、は言わずもがなではありますが、
前方に出すSnareは基本的に前が見えていないと出せないものです。
Healも同様に、Squaredだけを見ていては"戦局"という視点からみて
誰が今最もHealをされるべきかは分かりません。
「前衛がどの辺り(位置・タイミング)で相手にSnareにかかって欲しいか」が分かっているか
という部分を見ることで、普段のHeal時から前方の戦局を見れているかが大体分かります。


2.Skill(Snare)の意図を理解できているかについては、
そもそもなんで前方にSnareを打つのかという話です。


たまに、というか意外に良くあるのはCharge時に敵Tank前に出すパターンです。
これは一見良さそうなのですが、実はあまり意味がありません。


そのSnareの影響としては「敵tankのchargeが遅れる」ということがありますが、
それによるメリットは敵Tankが遅れている間に相手前衛にSpellを撃てるというくらいで、
それは既にTargetを間違えています。敵後衛は敵前衛との距離で立ち位置を決めるので、
実際には単に敵が少し手前で陣形を組むだけという話になります。


Charge時であれば、敵前衛と敵後衛を分離させる=GHeal,Guardしにくくするのと
敵後衛をprekiteしにくくさせるのが主な目的となります。
なので、最も良いのは敵後衛の下、あるいは味方前衛の押しが強めなら
敵後衛の少し後ろにSnareを出すことだと思っています。


もし前方に出すスタイルではない場合は、相手前衛が味方後衛の近くに来るのを待ってから
到達する少し前にSnareを撃って足を遅くさせて後衛の安全を図るという手もあります。
(ただ個人的には、味方後衛がprekiteせず相手MeleeのSnareを食らいGTsnareの意味が
薄れてしまったり、味方後衛がそこで前に出ず後ろに後退してしまうリスクがあるので、
基本的にcharge時は前方に出すのがベターではないかと思っています。)


Charge時以外はキーとなるClassを助ける・自衛など必要に応じて出して良いと思いますが、
Chargeするときには敵後衛付近に出すのが基本だと思います。
例外的に、Tank前へのSnareも仲間のregroupを待つ場合に限っては有効です。


この辺が分かってるShmは大体他のSkillも上手く運用できていることが多いので、
いいshmである可能性が高いですね。


上記+Ghealの位置取りやDetaunt含めたkite辺りで、
動き的にちゃんとしてるのかが分かると思います。




…と、なぜかshmの話になってしまいましたが、
まあCharに頼らず動きで頑張りたいぜというお話でした(´・ω・`)




by Aricororisty

『希望の国のエクソダス』感想

非常に私事ですが、『希望の国エクソダス』を読み終えました。
422ページの長編小説でしたが、面白かったので結局計4日位で読み終わってしまいました。
小説の読書量が少ないこともありますが、個人的には今まで読んだ中で一番面白い小説でした。

考察の束としての小説



自分の中では小説という手法を通して表現した、
村上龍さんの現代への考察をまとめた本という印象を受けました。


たとえば、細かいところですが

勢力争いというのは、各派閥の政治的権力への固執によるものではなく、
単なるコミュニケーションの行き違いで発生する、というのがポンちゃんたちの考えだった。

とか

おれは、山方の話術に感心した。マナー違反についてはきちんと注意をし、
場が緊張したあとにユーモアでなごませる。ウェイターたちは山方に心服しただろう。
そのことを俺は山方にいった。すばらしい話術をお持ちですね。
すると山方は、話術ではないんです、と厳しい顔で答えた。
「引き出しみたいなものをたくさん持って、その中に、メモをたくさん用意しておく、ということです。
話術というのは当意即妙、みたいなニュアンスでしょう。
あるいは、人を惹き付ける話し方、のようなものだと思うのですが、意味ないですよ。」

こういった文章は、事前にそういった考察をしていないとまず書けない文章です。


このような現実に対する細かい一つ一つの考察を積み重ねていくことが、
小説的なリアリティ(写実的という意味ではない)が増すことにつながっていると考えています。

物語の中に見る、機関化する個人



ストーリーという点で見ると、「ゆっくりと死んでいく日本」に対して
現代の若者(中学生)が旧来の非効率を無視していかに道を拓いていくか、が鮮明に描かれています。
特に、若者が一貫して規定されたレールの社会システムの外で活動をしているという点は
物語の中の重要なキーになっていると思います。


読んでいると、独立した存在である中学生に対して、社会システムの中にいる人間は
常に一個人ではなく、そのシステムの一つの機関として存在しているかのように錯覚されます。


中学生に対してキャスターが質問をする場面で、

代表二人は顔を見合わせてから、あなたはどう思ったんですか?と逆に女性キャスターに聞いた。
(中略)女性キャスターは言葉に詰まった。(中略)個人的な感想を言うことはできないし、
ポンちゃんへの一般的な評価はまだ定まっていなかった。
結果的にアジア通貨基金を救ったわけだが、電波ジャックという犯罪を犯したともいえる。
民放の一キャスターが肯定したり、否定したりできる出来事ではなかった。

という部分があるのですが、この場合のキャスターは個人というより殆ど機関であると思います。
つまり、キャスターが喋っているというよりも、そこに覆いかぶさっている企業といった存在が
その社会的立場から自分(企業)にとって適切だろうと思われる言葉を選ばせている、ということです。


個人が社会的な肩書(立場)を背負った時点で、個人が機関になってしまうということは
既存の社会システムにとっては確かに都合が良いことですが、
一方でその個人が常に一定のシステムを前提とした存在となってしまうという意味において
それは同時に大きなリスクを孕んでいるように感じられます。


物語の中で中学生が「現在の中学校に通い続けることはリスクが高すぎる」と語ります。
これは、現在の教育は既存の社会システム(それは時流と乖離が生じ始めている)を前提としたもので
そこに最適化された人材は教育を終えた時点で既に使い物にならなくなっている可能性が高い、
ということを指摘したものだと考えられます。


上記と関連させるなら、既存の社会システムの中で自己を機関化してしまうことは
そのシステムの衰退の流れに身を投じることと同じであり、
それは個人にとって高リスクであると判断した、ということです。


これは高度経済成長期の余韻を未だにひきずっている日本にとって
重要なメッセージだと思います。

現代の希望としての『希望の国エクソダス



この小説は、村上龍さんが思う「現代における希望」を示したものだと思います。


閉塞感の漂う日本において、現在ある手法を使ってそれを破っていく。
恐らく、これは龍さんなりの若者へ向けたエールなのだと思っています。


それが実現できるかは、今の若者がある程度の組織力を持って力をつけていけるか、
その行き先を見据え続けることができるかに懸かっているような気がしました。




by Aricororisty

小説とメッセージ性、とニュース

最近、村上龍著の『希望の国エクソダス』という小説を読んでいます。


普段あまり小説は読まない方なのですが、違うジャンルの本を読む気分転換に
有名かつ105円のものwについては読んだりもしていて、この本もその内の一冊でした。
まだ読み途中なのですが、なかなか面白い本だという予感がしています。


その理由は「小説の節々から強いメッセージ性を感じる」ためです。


自分の中で、表現物には全てメッセージがあるべきだという考えがあります。
それは、人が"敢えて"表現するというからには、
何らかの理由・動機がなければそもそもその必要がないと考えるからです。
伝えるということが、伝えたいものがあって初めて成立するように
表現も表現したい内容があるからこそ表現として成り立つように思います。


そう考えると、小説は
「物語という架空のストーリーを利用することで読者に仮想体験をさせ、
その体験を通じてメッセージを(暗に)伝えていく」表現方法であると捉えられます。


自分の場合、それが煩わしく感じられることもあって(メッセージがあるなら直に伝えてほしい)
小説を敬遠しがちなのですが、この『希望の国エクソダス』からは著者のメッセージが
直で伝わってくるので、読んでいて面白いです。


小説という表現方法の利点としては
①感情的に入りやすい
②具体性がある(現実性とは別)
といった点があると考えており、2つの利点を一言で言い換えるなら
「(一般的な論説文よりも)身近に感じやすい」ということだと思います。


しかし、自分としては、小説は論説文よりも注意して読むことが必要だと思っています。
上記2つの利点には"なんとなく分かった気になる"ことを助長してしまう側面があるためです。
①があることで感情を動かされれば実際の理解に関係なくわかった気になってしまいやすいし、
②の具体性が逆に抽象的なメッセージをぼかすことにつながる場合もあります。


日本の小説であれば、日本語さえ読めれば物語を一つの話として流れを理解することは出来ます。
ただ、そのことは物語を理解したということとは別の話です。
「物語を理解する」ということは、「物語のメッセージを理解する」ことだからです。


もちろん、そのメッセージは必ずしも"筆者が作品に込めたもの"である必要はありません。
(筆者のイメージが文章という道具を利用して作品となった時点で違う解釈が可能になるため)
ただ、そのメッセージ作り手の意図したものであるかどうかは別としても
メッセージを受け取ることが表現の受け手にとって重要なファクターである以上、
表現物自体がもつメッセージ性が重要であることには変わりはありません。


メッセージが分かりやすく、またメッセージ自体が秀逸なもので
表現方法の利点をうまく使ったものは当然ですが良いものになっていると思います。


(追記:
マンガや映画といった映像作品が本に比べて内容が薄い娯楽と批判されやすいのは、
小説の①②の特性が、マンガや映画ではより強く出ていることによって
作品の持つメッセージへの理解が軽視されやすくなりがちだと捉えられているためだと考えています。


自分は内容・メッセージが良いものは表現方法に関わらず良いものだと捉えていますが、
21世紀少年を書いた浦沢直樹が「読者の人の関心がともだちの正体ばかりに気がいってしまうのは悲しい、
もっと大事なことがあるはず」と言っていたように、確かに表現の受容側の層に多少の差があるような気はしています。)




上記に関連して思うのは、最近のニュースのメッセージ性の薄さです。


ニュースは新しく起きた重要な社会変化を伝えることを主としていますが
それが表現物である以上、そこにも何らかのメッセージが込められているはず(べき)です。
メッセージがあまりに分からないもの、そもそもメッセージが存在しないものは
自分の場合、その事象の大きさに関わらず表現としての価値が殆どないと考えます。


例えば殺人事件の報道。殺人事件は事の大きさとしては大きいと思います。
しかし、「人は殺さないようにしましょう」以上の意味(メッセージ)を持つ報道は
現状殆どないと考えています。それだけのメッセージなら、誰だって言われなくても分かることです。


新聞・TVの報道が面白くないのは、新たなメッセージ性を感じないためです。
特に、新聞の抱える問題は「新聞を読んでも新しい発見が少ないこと」だと思います。


載っている記事が、読んでも「はい、その通りですね」という内容ばかりで
言われなくても分かりきったようなメッセージの記事が羅列されています。
そもそも、長期的に見なければ意味のないものをニュースだからといって
一時的な変化を持ち上げて煽ることに意味があるとは思えません。


新聞社は若者の新聞離れを「活字離れが進んでいるから」などと評していますが、
原因はそんなことではないと踏んでいます。活字離れが進んでいれば、blogを読む人も減っているはずです。


また、新聞では「主観の入っていない中立的な記事・情報が大事」と言われているようですが
まず記事として載せるかどうかの時点で、主観が入ってしまっています。
今新聞に求められているのは、"中立"などという言葉でごまかすのではなく
「主観が入っていることを認め」「なぜそれが重要であると考えたか」を明示することではないでしょうか。


それは、ある記事のメッセージを説明することと同義です。


重要であると考えた価値基準を明示し、その基準にどのような背景があるのかが分かれば
その記事の持つメッセージ・意味は自ずと分かるはずです。
重要とされる記事も、どのような意味で重要なのかが分からなければ重要とは言えません。


最近読んでいて面白いものとして、Courrier Japonという雑誌があります。
読んだことがある方も多いと思いますが、この雑誌は「なぜその記事を載せたのか」が明確で、
内容自体も他とは一線を画すもので読んでいて面白いです。


ビルゲイツがTimes紙に寄稿した創造的資本主義(Creative Capitalism)の話とか
少し前に話題になった村上春樹イスラエルでのスピーチは、特にメッセージ性に富んでいて面白かったです。


とまあ、こういうことを『希望の国エクソダス』を読んでて思いました(´・ω・`)




by Aricororisty

久々にpremade

サーバーも落ちてるので昨日のpremadeのことでも。


普段はずっとpugか2〜3人のmini premadeでやってるのですが
昨日はいつも仲良くさせて頂いているGalleriaさんと組んで、久々にfgのpremadeでSCに行きました。


構成はBO,BG,Shm,Sorc,SH,WEで、1healerかつAEは唯一Sorc(not bomb)のみでしたが
思ったよりも戦えたと思います。ちなみにTank2人は1Hを使っています。
休日ということで、幾つかのJPOrderのpremadeと当たることが出来ました。


戦績・コメントは以下。(スコアは全員分見られるように合成してあります)


① vs Tesoro





これは構成差があまりなかったので、割とイーブンな条件で戦えたかなと思います。
なかなか良い戦いでした。特筆すべきことは・・・特に無しw 押しで勝ったという感じですね。


② vs HeartLand





この戦いは久々に激アツでしたw


お互い2ndGrpの構成もよく、MorkainTempleでしたがAEも少なめだったので
全体としてかなりガチガチなMeleeFightになっていたと思います。


こちらの戦い方としては自分がGuard重視でGuardを変えながら後衛を守りつつAssist、
otomi(BG)は相手Healerの所に行ってKBで飛ばすwという感じでやってました。
BO的にはCD+5secのAbiをupするごとにHealerに入れて嫌がらせしてました。


うちのGrpは1healerだったのでRagさん(Shm)がやられたら厳しいところでしたが、
なんとか奇跡の耐えで生き延びている間に1,2Grp両方のDps陣が働いてくれました。


特にこちらのGrpにぱっと見狙いやすいClass(Sorc,Shmなど)が揃っていたので、premade側にtargetが集まりやすく
その分premadeTankのGuardが効きやすくなっていた(そしてpugGrpのDpsBO,Choppaがフリーになっていた)のが勝因の一つと考えています。


③ vs Zsensi





これはDGさんと一緒だったので実はdouble premadeの状況、
かつOrder側のRankが低かったので一方的に轢き殺しのような感じになってしまいました。
ZsensiさんとはまたfgPremade同士で当たりたいです。




と、FGのpremadeとして今回戦ったのではこんな感じです。上手いこと全部premadeと当たれました。
今回は相手方もBombPremadeは居なかった?ようで、純粋に楽しませてもらいました。


Asukaは恐らく弱小Guild認定されていると思うのでw、他にpremadeが居なかったvsTesoro,HL戦は
もしかしたら「pugに負けた?」と思われてるかも知れませんw


終わってみれば全勝じゃないか・・と言いたいところなのですが
実は最後otomi(BG)が落ちた後に、入れっぱなしだったqueueが反応+それがZoneFlipかかってるということで
SCに入ったら運悪くHLと遭遇。。負けるよね(´・ω・`)


Rank的には悪くなかったのですが、もう1GrpのClass構成が残念だったのと
うちのGrpも実質Tank1人(もう一人は29BOw)になってしまったので、HealerをGuardしたらもう圧力かける人が居ませんでした。
そのうち、また今回のMorkainTempleの時のように良い環境で当たれれば良いなと思っています。


結論:premadeは詐欺w




by Aricororisty

1HBO、あとBO

タイトルが意味不明になりました。


最近BOはDpsLine+SubDefenceLineの1handSpecでやっています。
少し前にLVのShieldを手に入れてからですが、なかなか良い感じです。


BOのSkill表を見ないと分かりにくいかもしれませんが、Spec的には
DpsLineの2H専用Tac,Actionを切って、その分でDefenceLineのCD+5secのSkillを取っています。
今まで2H専用Dmg+10%のTacを使っていたSlotには、Block+10%を入れてます。


Armorはpot付きで常時4000+、Block率も35%あるのでGuardしててもなかなか硬いです。
2H専用のActionである3段目の大Dmg+KD3secがなくなるのは痛いですが、
Guardを入れても生き残れるのとCD+5secでBWやSlyのBombを妨害しつつDpsもそこそこ出るのが強みです。
DBや総Dmgも当然減りますが、その分Dpsが元気になるのと自分が死ににくくなることで
Defence系Moralを溜めておけるのでGrpの生存率は上がっていると思います。


現在CloakはFortで出たDefence系のProc5%Armor+700を着けているのですが、
これをLotdのMeleePowerUpのに変えたらDpsも強化されて良さそうです。見かけたら、いつでもLotdに誘ってください。
ArmorUpCloakも2Hだと強いのですが、1HでArmor4700+とかになってもあんまり意味無いです。。w


あともう一つのBOの件ですが、要はBookOFFのことです。w


ついこの間、山手線沿い五反田のBookOFFに行ってビジネス本を中心に買い足してきました。
以前買った『ブックオフの真実』(105円w)に、
「お客さんに売ってもらったものを出しているので店舗ごとに品揃えが違う。
例えば、五反田のブックオフはビジネス街なのでビジネス本が多く揃っている。」
といったことが書いてあったので、ちょっと足を伸ばしてみました。


行ってみると確かにビジネス本が多く、比較的きれいな本が揃っているような気がしました。
ただ、ここは1階のコミック関連は105円コーナーがあるのですが、
2階のビジネス本・小説等は105円ではなく200円コーナーになっています。
新書系も多く揃っていましたが、価格設定は他のBookOFFに比べて少し高めに感じました。
恐らく客層的にビジネスマンが多いことから、渋谷のような若者が集まる繁華街に比べて
可処分所得が多いことを見越して価格設定をしているのだと思います。
コミックが105円なのは、学生のような低所得者層がマンガを好むと捉えているからだと考えられます。


本を選ぶ際はBookOFFの基本?として、同じ本が場所によって105円だったり200円だったり400円だったりするので
価格設定が高めの五反田は注意が必要です(といってもそこまで変わりませんがw)。
一応渋谷や秋葉原、あと綱島(横浜近くの地名)辺りの店舗で見たことのないものを選んで買いました。
200円コーナーの本が普通に他の店舗では105円で売られていたりしますが
一方で他店舗の105円コーナーで見たことのない本も五反田の土地柄置いてあったりするので、行く価値はあると思います。


"105円コーナーを使う利点"は前に紹介しましたが、より直接的に"安値で本を買うことの利点"を挙げるとすれば
①読みたくなくなったら、すぐに次にいける
②多読の敷居が下がる(かつ、本を手に入れられる)
③冒険がしやすい(「近頃のwar事情、あと本」のエントリ参照)
といったことがあります。重要なのは、具体的な金額というより買うとき・読むときの気分の違いです。


①について。


ある程度の量の本を一気に買うと「買ったときは読みたいと思ったけど実際に読み始めたらつまらなかった」
という本が必ず出てきます。(一気に買わなくてもそのような場合はありますが、量が増えるとその率が高くなります)
これが普通に定価を出して買ったものだと、なかなか諦めにくいのが人情です。
しかし、読んでいてつまらない本というのは、結局読んでも時間の無駄になることが多いです。


特に「次の本を買うのはあの本(つまらなくて読み止まっている本)を読み終えてから」などと考えながら、
しかもその本を読むのが億劫になっている場合は、時間ばかりが過ぎてしまい結果として違う本から情報を得る機会の喪失につながりがちです。
読んでいてつまらないと感じた本は、今自分が読むべき本ではないと考えて取りあえず放置しておくのがベストです。


こういった事情から、「読むのを止めてすぐに次の本に行ける」ということが
結果として効率的な読書につながっていきます。


ただ、注記しておくと、上記の判断は「読んでいて面白い(興味がある)・つまらない」に
当てはまるもので「本の難しさ・簡単さ」とは関係ありません。


簡単でも面白くなければ無理して読むべきではないし(もう内容が大体分かってしまっている場合など)、
難しいと思っても面白い・興味があれば読むのが正しい選択です。
難し過ぎて何を言っているか分からず面白くない場合は、自分の技量が足りていないと考えて一旦放置し、
別のもう少し易しい本を読んでから再度読み直してみるという手が良いと思います。
「面白いというところまで行かないが内容に興味がある」という場合は、とりあえず背伸びして読んでみると
少しずつ面白くなってくることが多いので、負担にならない程度に他と平行して読み進めていくのが良いと感じます。


②について。


これは単純にお金のことをあまり気にしなくて良くなるので、本を沢山買ってもさほど気にならなくなるということです。
少しの本を定価で買うと、それを精読したくなるのですが
結局ある程度の量を読まないと内容を自分の中で内容を相対化できず、逆に情報が生かされにくくなる印象があります。


(「少ない良書を何度も読み直すのがよい」というのをよく聞きます。
自分もそれに賛成ではあるのですが、それはあくまで同じような本を何冊かは読んでから
最終的に戻ってきて何度も読む、ということに意味があると考えています。
そうでないと何故それが良書なのか、どの部分が大事なのかが自分の中で分からないままになりやすいです。)


いずれにしても、安いと量を揃えやすくなるので多読に繋がる、ということです。


括弧書きの(かつ、手に入れられる)の部分に関しては、自分のこだわりみたいな所もあるのですが
本は内容を自分なりに咀嚼して取り入れたい場合、基本的に買って所有しておいた方が良いと思います。
図書館に行けば、確かに色々な本を無料で読むことは出来るのですが
次に内容を確認したいときにその敷居が上がってしまうのと、何より後日の読んだ感が違います。
読んだ本が実際に部屋に積まれていくと満足感に繋がります。これが次に本を読むモチベーションになることも多いです。


読んだ気になっているのが危ない、量より質だという話もありますが、
結局はある程度読まなければ何も始まらないのも事実です。


一方で、読書で得られる情報量の話と読解力の話は全く別ものなので、多読によって読解力を得られると考えるのは注意が必要です。
多読によって得られるのはあくまで絶対的な情報量とそれを基にした要素の相対化→全体の中での各情報の意味付け・位置付けであり、
読解力によって得られるのは論理構造の把握による文章の正確な理解です。


③は以前紹介した通りです。


結論は、BookOFFイイトコネということです。利益構造がどうなのという話はとりあえずスルーですw


最後にまた動画紹介でも。いきものがかりです。元は合唱曲・・・?いい曲です。









by Aricororisty

韓国ネットカフェ文化

前回韓国ネタだったので、ちょっと引きずって今回も少し。


ネットゲームが韓国ではポピュラーなものというのは有名な話ですが
その元となるネットカフェについて語られることは、その重要性に比して少ないような気がします。


日本におけるネットカフェ・マンガ喫茶は、一言でいえば「娯楽が揃った自分の部屋」。
終電後の宿泊に使うといった役目もあるため、居心地・多機能性が重視されています。
基本的に個室で、場所によってはシャワーまであったりと、生活空間に近い感じです。
コンビニとマンガ喫茶があれば、余裕で生きていけるレベルだと思います。


韓国のネットカフェはそのような日本のマンガ喫茶の位置付けと少し違って、
まさに「ネット・ゲームをする場所」という感じのようです。
個室ではないのが一般的で、のんびりする場所というよりは明確にPCを使うという意図をもって行く場所のようです。
写真は http://www.k-plaza.com/photo/photo_pcban001.html#photo を参照すると分かりやすいです。


韓国ではゲーム上でけんかになってリアルでネットカフェに乗り込んできたり
ネットカフェでゲームやり過ぎで病気になったりというニュースがありますが、
この感覚は日本のマンガ喫茶を想像すると分かりにくいかも知れません。
こういった事件は韓国のネットカフェが主に"若者が親の目・時間を気にせず自由にゲームが出来る場所"という
意味合いで利用されているから起こるものです。
リアルの友達とコミュニケーションをしながら一緒にゲームをしたり、というのもあるようで
だからわざわざ家のPCを使わずネットカフェに行ったりするそうです。


そう考えると、日本にネットカフェ(マンガ喫茶)が出来てもネットゲーマーがそこまで増えなかったのは
そもそもネットカフェの利用意図が異なっていたからだと考えられますね。
ネットカフェ内でコミュニティのようなものがあるとすると、韓国人同士のつながりが強いのも頷ける気がします。
OnlineGameをしてるけどOFFの知り合いだった、というような。


前回のエントリで少し出てきた仲の良いニュージーランド人も、
「ニュージーにもネットカフェはあるが韓国人が経営してることが多い」
「ネットカフェには韓国人同士が集まって仲間内でやっていたりするので独特の雰囲気がある」
といってました。


韓国はテレビでStarCraftのリーグ戦をやっていたりする位なので、
やはり日本とはちょっと違う環境のようです。(しかもプレイヤーにファンが付いているw)


そういえば、前回載せる動画を探すときにsnsdの一人(Tiffany?)も
MabinogiのPVで歌ってるのを発見しました。これは釣れそうです。w










(´・ω・`)ノシ あんにょん




by Aricororisty